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一万枚売ったどじょうシンガーのありがとうが止まらなくてうれしい3周年

3周年記念ということで、伝説の1ページを、たまには書き記していこうと思います。

毎度のことながら長文のブログには秘密が隠されていますので、是非考察してみてくださいね。

と自ら言ってもばれない、予想などつくはずもない物を仕込んでいますので、言っちゃってます笑。

それではレッツラ3周年

1万枚売った人たちの歌

3年間、大変お世話になりました。

色んなことがありながら、僕らは今日も歌っています。

皆様におかげです。3年目は1万枚を突破。手売りでですよ。コロナがあって、嫌なことがたくさんあって、でも、1万枚売ったんです。

僕らの思いは確かに、届いているはずです。

その中の何人かでも、人生や、気持ちを、変えられたり、影響を、与えられたかな。

1万枚売った後も、勢いが止まることはなく、間も無く13,000枚。

僕たちは止まることなんて知らないんです。

どじょうシンガー

僕ダレは約10年ほど前に職業作家になりました。

毎日がすごく楽しかったり辛かったり

色々な日々でした

しかしある日気がついたんです

「今僕がしていることは確かに音楽だが、果たしてこれはアーティストとしての音楽なのだろうか?」

職業作家を批判するわけではない。

むしろ最も尊敬できる職業で、自分自身もその仕事に誇りを持っている。

しかし、僕の心にはどこか虚無感のようなものがポツポツと点在していて、どんな仕事をしようと、満たされることはなく日々87点みたいな気持ちで生きていました。

どこか泥底にいるような、晴れそうで晴れない、確かに感情も気持ちもそこにはあるのに、はっきりとは見えないような。

泥底で過ごす僕はまさに「どじょう作家」だったのかもしれない。

そんな時にダリになる前の彼と出会った

ダリがダリになる前の彼の歌を、とある場所で偶然聴いて1秒、いや、もはや0秒。

歌う前のブレスだけで

「ああ、なんだよ、僕、全然音楽やってねーじゃん」

そう思わされたのを今でも鮮明に覚えている。

当時の彼は「どじょう作家」の僕と同じく、まさに「泥底」にいるようだった。

誰に向けて歌うでもない、届くような場所でもない。文字通り泥底で歌っているようだった。

しかし僕のような「どじょう作家」とは大きな違いがあった。

彼の歌はどんなに淀んだ泥底からでも光り輝き、その瞬きは人々を泥底にですら引き込み、巻き込んでいくような、そんな歌だった。

光り輝く場所に自らが立たなくとも、その姿を見たいがために、人々が集まる「場所」となるような。

その姿はまさに「どじょうシンガー」そのものだった。

僕は音楽に対しての考え方が一貫していて

「音楽なんて、所詮は空気の振動。そこに物質も残らなければ、腹の足しにもならない。そして時間が過ぎればその振動すら無くなる、どんな悪徳宗教よりもタチが悪い、売り物なんだ」

と。

それと同時に

「それなのに、そこに何千円でも、何万円でも払いたくなる、そして何より、ただの空気の振動で涙が出て笑って、人の人生が変わり、毎日が彩られるなんて、最高にイカれてて、最高に幸せなことなんだ」

と。

僕はそんな気持ちを持ち合わせながら、職業作家をやっていく中で無意識下で

本当に「ただの空気の振動を作る」だけの人間に成り下がっていた気がした。

いや、きっとそうなっていた。

オーダーで言われたものを作る、世の中に必要とされるものを作る、そんな仕事に不満はないし、日々も楽しい。

しかしいつしかその代償として「アーティスト」に最も必要であるはずの「自己表現」を失っていたのだ。

若い頃は全員殺す気で音楽をしていて「圧倒的正義は!俺だ!!」くらい、あんなに表現したいものがあって、あんなに暑苦しい気持ちを持っていたはずの僕がただ起きて、空気を振動させて、ただ納品して。ただお金をもらう。

正直な話リリースされる作品にたいした愛もなく

「お、結構売れたな、印税で何買おうかな」

くらいしか考えなくなっていた。

しかし、そんな僕にダイナマイトのような爆撃で邪念全てを吹き飛ばし、全てを思い出させてくれた男がいる。

それが、ダリになる前の彼だ。

「衝撃」なんて安っぽい言葉では言い表したくないほど、心が、感情が揺れた。いや、壊れた笑。

そしてあれやこれやそれやで

お互いの足りない者、お互いの必要とするものがガッチャンコ!と一致。

なるべくして共に生きることになった。

共に音楽を表現できることになった。

それはそれはそれは夢のような毎日でした。

優しく美しいダの者に囲まれ、最高の歌、僕の理想とする最高のエブリデイ毎日が、日々が、一気にカラフルになりました。

ダリも何度も言ってくれてます

「ダレと出会えて、本当にしたかったことが見つかった」

「僕のしたいことを見つけてくれた」

「僕を産んでくれてありがとう」

そう言ってもらえることが本当に嬉しかった。

ありがとうが止まらない

しかし、早々に悲劇は起きました。

コロナです。

僕らだけでなく世界が変わりました。

何もかも、ぶち壊されました。

歌うことも、表現することも、全てが不可能になりました。活動のために用意していた本業の稼ぎ、軍資金はあっという間に底をつき

もう終わりだと思いました。地獄でしかありませんでした。

しかし、変わらなかったものが二つ、ありました。

一つ目は

ダリの歌

こいつの歌は、消えてない。こいつの歌はここに、まだある。

爆発したがってる、空気を振動させたがってる、最高の歌がここで眠ってる。

出会ったあの日を、思い出しました。泥底のような場所で歌う彼をみて

「こんなところでこの歌声を燻らせてるこいつはバカだ」

そう思って、声をかけ、そう思って2人で歩み始めたのに

今、またこの状況にさせてしまっている

どうしようもない事だとはいえ、自分が許せなかった。

しかし、ダリの歌は、確かにそこにある。それは変わらない

そして二つ目は

ダの者

路上ライブも出来ない。

なのに無駄なプライドで生配信やオフ会のようなライブは行わない。

手売りで100万枚を謳う僕らにとっては地獄しかなく、それを応援する側はもっと地獄だっただろう。

こんな「無」丸出しの僕らを応援する必要も気力も、ないだろう。なくなるだろう。

しかし、ダの者は違いました。

変わらず、歌い出すその日を待ってくれるどころか、支えてくれました、助けれてくれました。物理的にも精神的にも。

コロナに感謝なんて微塵もしたくはありません。憎いです。

でも、この期間があったからこそ

本当にこの活動の、本当の本当の大事な部分、本来あるべき姿に気が付けました。

僕らは2人で始まりました。

それは変わりました。

「二人で走り切ろうな!」

そう言い続けてきました。

でもね、違ったんです。

僕たちは2人でスタートして

100万人でゴールするんです。

この活動は2人の夢じゃない。

100万人の夢なんです。

うれしいっていいよね

これに気が付けて本当に嬉しかった

うれしいって、いいよね。

うれしいと思えることがまた、うれしくて

うれしくてうれしい。

ダリと出会えてうれしい

一緒に歌えて嬉しい

ダの者に出会えて嬉しい

みんなに聴いてもらえることも当たり前じゃないんだ

聴いてもらえることも、みてもらえることも、気にかけてもらえることも

全てが、うれしい

うれしいって、いいよね

I Say Goodbye

僕らは

アーティストだった

わすれかけてた

3周年を超えて

4年目は

ダリと、本当に大切なものを取り戻す年になる

おいお前ら・・・

絶対に泣かすからな

ハンカチはダースで用意しろ

ついでにオムツもな

僕らは変わらない。

根本は、変わらない

そんなつもりで歌い続けてきた僕らは

ダの者に変えてもらいました。気持ちが強く、大きく、太く、固くなりました。

一人と一人の人間だった僕らは4年目から二人で1人になれる。

はっきりと言いますこの3年目の主役は

ダの者です

僕らは名脇役

そんな素敵な物語の名脇役を演じられて感謝しています。

でもね、4年目からは

ダリが主人公

でもね、これからも、

みんなでこの目標を、追い、叶えてください。

これからも最強の2人目指して、歌い続けます。

ダリとダレは永遠です。

正直いうぜまだまだ苦しいことだらけ、でもね

負けねー。

これからもよろしくお願いします!

さて、3周年記念は何が起きるのかな。このブログがヒント。

楽しんで。

だりとだれ